"うつ病 体験"ブログ

うつ病 体験記(進行形)

ストレス社会の中で発症してしまった「うつ病」の体験記、思いやノウハウなどを記します

失敗から学んだ"挑戦への留意点"

失敗から学んだ"挑戦への留意点"

復職後「無理をしない」を前提にここまでやってきました。(当記事は復職半年後に記載しています) 上記は意識しながらも、この間の日記でも多く書いてきたように「焦り」の気持ちも当然あり、その境目でいつも悩んでいます。 うつになる前なら出来ていたことが出来ない現状に対して焦りを持ち、遠方にある他社へ出向いて泊まり込みでの集中会議を行うという仕事に挑戦してみました。 結果だけで言えば失敗(途中棄権)であり、休職当時のようなダメージを受けてしまいました。

 

上記の体験の詳細は以下の日記で記載しています

挑戦(その1)"要因の軽減"を試す - うつ病 体験記(進行形)

挑戦(その2)出張への挑戦 そして"失敗" - うつ病 体験記(進行形)

挑戦(その3)会社対応 "人に話すこと" - うつ病 体験記(進行形)

 

本記事では、上記の失敗・経験を踏まえて、次に挑戦するならば、どんなことに注意したら良いかをノウハウとして記載しておきます。 (本当にこれだけでうまくいくかは分かりませんが、今感じていることです)  

 

ハードル調整・考えるべきこと

今回の挑戦は、最初から多くの不安要素があり、失敗は覚悟していました。 今の状態の自分に「出来そうなこと」、「出来ないこと」から、ハードルを決めることは必要なことです。

私の場合は、事前にそれを考えて、途中棄権も最初から想定はしていたため「失敗」なのか、ある意味「想定内」なのかは何とも言えない結果です。 仕事である以上、ハードルの高さを調整するということは、ミッションをこなせるかどうかでしかなく、実際は難しいことかも知れません。 それでも、到底無理だと感じていることは、失敗して自信喪失するだけで、自分にも会社にもメリットがありません。 そのミッションに「自分が出来ない要素が含まれている」ならば、それは仕事として完遂出来ないことを指します。 では、どうしたらいいのでしょう。 今回私が実施したことや、やれば良かったと感じたのは以下です。

 

1. 分業を希望する・必須要素を考える

到底「出来ないこと」があるのに、それを一人で抱えてしまったら、失敗してしまいます。(仕事として) なので、そのミッションの中で、自分の「出来そうな要素」を見定め、ここは自分がやる(やってみる)、ここは今は困難なので他者に手伝ってもらう、といった作戦立てを行う必要があると思います。

 

複数の作業で構成される「ミッション」という単位で、その時の自分にとって「少しだけ挑戦してみる」ことに全作業が一致するような都合の良い仕事はないのが現実だと思います。 なので、その仕事(ミッション)の中で分業の案・希望を出すことで、ハードルの高さを調整した挑戦を実現するしかないのかも知れません。 また、仕事の中でも必須要素とそうでない要素はあるはずで、必須の部分を多く抱え過ぎないことも必要だと思います。  

2. 失敗時のダメージを考慮する

①気持ち的なダメージ

自分で考える「出来そうなこと」は、挑戦と考えている時点で「出来ないかも知れない」ことである可能性が高いと思います。

そのために、慎重な選択が必要になる思います。(難しいことではあります) 「出来ないかも知れない」ということは想定し、そうなってしまった場合にどうするかもイメージしておくと良いでしょう。

この「どうするか」は上述したように誰かに任せる、遅らせる、必須ではないなら止める、などだと思います。

このようにしておけば、もしも出来なかった場合にも、想定範囲内と捉えることが出来るため、気持ち的なダメージの緩和になると思います。

 

②体へのダメージ

そしてもう1点、今回私が考えていなかった「体の反応」へのリスク対策も必要です。

気持ち的にはダメージを受けていないはずなのに、その結果に対して「体が反応してダメージを受ける」ことがあり得ます。(今回の私はこれで大きいダメージを受けているように思います) 気持ちで割り切っても、おそらく深層心理のどこかで、結果に対してストレスを感じて体調に表れてきているのでしょう。 (私の場合は、今も胸の苦しさやめまい、お腹がゆるくなる症状が続いています)

深層心理に関わるため、これを考慮した判断は非常に困難ではあります。 しかし、事が近付くにつれて体調が崩れたりしている状況ならば、気持ち的な「出来るだろう」よりもやや低めのハードルにしておいた方が良いかと思います。

  

事前に理解を得る・共有する

ここまで記載したことは、少し困難なことに挑戦してみることに対する、自分の中での作戦立てになります。 しかし、対策の中には、誰かに任せる部分があったり、途中で委ねるようなことも含まれてきます。 そうなると、やはり一人で全てうまくいくようにすることは出来ないのです。 そこで、自分なりに考えた作戦は、同僚やチーム・上司などとしっかり共有して、理解・協力を得る必要があります。

 ただ出来ないから任せたい、という訳ではなく、自分の状態や症状と照らし合わせて説明する必要はあります。 理解・協力が得られて、出来ないかも知れないことへの逃げ道も共有しておけば、早めの断念も報告しやすくなると思います。  

 

事後にも共有する

事前の作戦に対する理解や共有に対して、事後にも結果を共有しておくと良いでしょう。 関係者は事の経緯は見ているので、それを共有することに意味はありません。 事後で必要なのは、自分の「出来なかったことの理由」や「後に表れている体の症状」についてです。  

単純に「出来ませんでした」で終われば、「次回頑張れ」で終わってしまいますが、症状や気持ちの部分を共有すれば、次回の挑戦のハードルの高さや作戦時に伝えやすくもなり、配慮される可能性も出てくるためです。

 

孤独な挑戦はダメージを一人で抱えることになる

ここまで、挑戦することについて、現時点で重要だと感じたことを記載しました。

途中でも記載した通り、実際の職場や仕事では、そのような都合の良い作戦を受け入れてもらえるか、理解されるのか、という問題には突き当たると思います。 全く理解のない職場ならば、私から助言出来ることは出来ないですが、1つ言えるのは、 「話すこと・共有すること」自体も挑戦である ということです。

 

自分の殻にこもる思考が強くなる中で、一人で作戦を立ててやってみるという「孤独な挑戦」は失敗時のダメージも全て自分に降りかかってきて、相当なダメージを受けると思います。 一人で作戦を考えた場合、その想定通り途中で辛くなったとしても、いざその場になると言い辛くなり、我慢して我慢して、作戦を発動出来ずに、結果として潰れてしまうという自体になり兼ねません。

 

世の中が、このような病気への理解を持って対応してくれないことに不満は抱えていると思います。出来ることならば、このような対策は周囲や上司から動いて欲しいとも思うでしょう。 しかし、目に見える部分と見えない部分があって、判断し辛いこともあるのだと思います。原因や症状にも差があるこの病気は、特に周囲の判断も難しいのかも知れません。

 

理解して欲しいと思う気持ちは持って当然ですし悪くもありません。 しかし、我々は逆に、見えない部分を見せる(話すなど)ようにして、理解してもらう努力は必要なのかも知れませんね。 今回の私は、関係者と定例で話す場があったり、呼出しがかかるという、機会が与えられていただけで、自らの働きかけはまだまだだと思ってはいます。 また、会社としておおごとに扱われ過ぎて、逆にプレッシャーになっている部分はあるかも知れませんが。

 

SNSにて、復職までに何度も納得するまで会社と話しをした、という方もいました。おそらくそれも理解を得る努力であり挑戦なのでしょう。