"うつ病 体験"ブログ

うつ病 体験記(進行形)

ストレス社会の中で発症してしまった「うつ病」の体験記、思いやノウハウなどを記します

"核家族の苦しさ" (帰省時の出来事)

私は次男であることもあり、家を出てからは自然に実家とは離れて自分で家を購入して暮らしている。 実家までは車で4時間程かかるため、普段は足を運ばないのだが、正月とお盆だけは帰省することが恒例になっている。 子供が育ったこともあるが、帰省という行為そのものの必要性も疑問があったり、両親や兄夫婦に会うことへの抵抗も感じているため、最近では泊まることを避けるようにもなっている。 彼らには"核家族の苦しさ"は分からないだろう、そんなことも感じている。  

起きてしまったこと

休職直後のお正月の帰省は穏便に済ませたのだが、今回のお盆の帰省では気まずい出来事が起きてしまった。 実家には兄夫婦が住んでいるのだが、兄は気分屋であり、帰省する日でも平気で予定を入れて一人で外出してしまっていることは多い。 そんな兄だから、私は帰省の予定などを兄と相談するようなことはしたくない。

いつも帰省の段取りは、嫁と義姉(兄の嫁)の間で決めてくれている。 今回も休みに入る前に、帰省の日を嫁に教えてもらい日帰りであることも知った。 細かな予定は確認しなかったが、昼食は実家に向かう途中で自分らのみで済ませ、夕食を実家で一緒に食べるという段取りだったようだ。

 

ところが、いざ到着すると「夕食の準備はしていない」とのこと。 庭でバーベキューをするつもりだったが、夕立が来るかも知れないから止めたらしい。 それはそれで仕方がないのだが、じゃあ夕食はどうするのだろうか。 兄はやはりこの日も不在で、遠方から電話があり義姉と話していた。既に19:00近いのだが、今から帰るという連絡だったようだ。 雰囲気から察するに、兄の帰宅を待って、それから皆で外食に出るつもりのようだ。 私たち家族は日帰りのつもりでいるのに、兄の帰宅は遅くなる、それから外食なんてしていたら、自宅へ帰るのは確実に夜中になる。

 

そんなことも考えられないのか?そうなる可能性があることは伝えるできではないのか? その状況に苛々が止まらなくなった。 当日は朝から頭痛があったせいもあるかも知れない。

夕食がないのはいいが、どうするのか、私から問いかけたが、誰も明確に回答をしない。 「だったら、もう夕食を一緒するのはいいから、そろそろ帰る」と告げた。 それで一気に空気が重くなってしまった。

せっかく帰ってきたのに、とか、私の発言が怒っているように聞こえた、など、色々あったのだとは思う。 しばらく、そんな無意味なやり取りが続いた。 頭痛のことも、首のことも話に挙がったのだが、今度は「病院に行け、とか、クスリを貰え」という内容に変わって来た。 苛々もピークに達していたため、「整形とかに通った結果が今であり、もう行くのは止めた。でもちゃんと通ってクスリも飲んでいる、心の病院とクスリを!」と言い放ってそのまま帰る準備を始めた。

 

自分のせいだとは思っていないが、流石に気まずいままなのも悪いと思ったので、「別に一緒にいたくない訳でもないし怒っている訳でもない、段取りが分からないから帰ると言っているだけだし、自分がそういう状況だから、あまりガチャガチャ言わないで欲しいと思っているだけのこと。だから申し訳ないけど帰るよ」とは伝えて実家を後にした。 しかし、そのことに彼らは触れることもなく、気を付けて帰れというお決まりの言葉と、これでご飯を食べろというお金を渡してくるのみだった。 お金なんて期待してる訳じゃない、何故分からないのだろうか。 そして、その後も無事に帰れたのか、などの電話が来ることもなかった。  

 

実家はいつまでも自分の家族ではないのかも

中学を卒業してからは実家には住んでいない。 両親は学費などの面では世話になったと思っている。 でも、それほど大きな迷惑をかけることもなく、勉強もそれなりに出来ていい高校に入って、それが親孝行になっていたとは思っている。 会社を決める際にも相談はしなかったし、社会人になって以降も、連絡を取り合うことも殆どない生活になった。 きっとあの頃から、実家は私にとって必要なもの(頼りたいもの)では無くなっていったように思う。

若い頃に初めて自動車で事故を起こした時も、気が動転する中で父親に電話したのだが、特に何をしてくれる訳でもなかったし、あの頃から何かを期待する存在ではないのだな、と思うようになったのかも知れない。

そして何よりも、実家に兄夫婦が住み始めて、その子供たちも増えていく中で、更にあの家は私の家族では無くなったように思える。 子供の頃、父親の兄弟が遊びに来た時、この人が自分の家の家族だなんて思ったことはない。 祖父・祖母の子供なのだから、私にとっては家族ではなくとも、父親に取っては家族だったことを考えれば、それと同じことかも知れない。  滅多に会うことも話すこともない、そんな相手に対して、何かを分かって欲しい、分かり合いたいという感情が薄れていくのは当然のことなのだろう。 私自身がそうであるように、あの家族から私を見た場合にも同じなのだろう。

 

核家族の苦しさ

若い頃は結婚後に両親と一緒に暮らすことを嫌う傾向はあるだろう。 新婚生活を邪魔されたり、気を遣いたくないのが原因なのだと思う。 また、老後の面倒を見るという面も歳を重ねれば追加されていく原因である。 後者の意味では、兄夫婦にそれを委ねた部分での申し訳なさはある。

しかし、兄夫婦には、両親がいることで助けられている部分もたくさんあると思っている。 私が家を出た後で、父親が家自体は新しく建て直しており、兄夫婦は家自体にお金を使っていない。 また、子供が小さくても両親に面倒を見てもらって、義姉自体も仕事を辞めることなく共稼ぎ出来る環境にある。 一緒に住んでいることで、子供達にも色々と買ってもらっているだろう。金銭面では、すごく恵まれていると思っている。 実際、次々に何台も車を持っているし買い替えも早い。贅沢品も実家には多いように思える。十分に貯蓄出来ているのだろう。

 

一方私はというと、子供を育てるために嫁は出産を期に会社を辞め、パートで頑張ってくれている。 賃貸で家賃を支払うくらいならと考えて、マイホームも購入した。

ほぼ私の給料のみで、全てをやり繰りする必要があり、苦しくても誰にも援助は頼めない。 正月やお盆に帰省はするが、あちらの家族が私の家に遊びに来たのは、家が完成した時のみである。

実家に残らないことは気楽に暮らして行けるから羨ましいようなことを、兄夫婦に言われたり、一般的にもそう思われがちだが、実際は核家族にだってそんな苦しみは存在する。

きっとそれは実家からは分からないのだろう。 苦労していないとでも思っているのかも知れない。 兄夫婦は勿論だが、両親自体も私の祖父や祖母と暮らしていたので、きっと気付かないのだろう。