"うつ病 体験"ブログ

うつ病 体験記(進行形)

ストレス社会の中で発症してしまった「うつ病」の体験記、思いやノウハウなどを記します

挑戦しない 決断

先月の挑戦失敗を未だに心のどこかで引き摺っているような気もしているが、最近はただ自分の作業に没頭していることもあり、あまりストレスもない状態にはある。 しかし、打合せ等が無くなっている訳ではなく、今月もその時期がやってきた。今回は"挑戦しない 決断"をすることに。  

再び開催される不安イベント

先月に続いて、7月度も他社との集中打合せが同じように2日間かけて開催される。 今回は遠方への出張や宿泊は伴わず、日帰り可能な場所での開催となる。 前回は、一度に多くの壁(ストレス要素)がありすぎて失敗したとは思っているが、今回の違いは、

  • 遠方への移動がない
  • 宿泊を伴わない

という要素が無くなるのみである。 振り返ると、上記2点についてはストレスではあったものの、ビデオ鑑賞しながら移動したり、宿泊先でも眠ることは出来たといった結果から、それ程の障害ではないと感じている。 そうなると、やはり他に残っている以下のようなものは大きい障害なのだろう。

  • 他社の方との2日間に渡る長期的な議論に着いていけるか(めまいや事後の酷い疲れ)
  • 遠方の会社の方が来てくれることになるため、飲み会は開催されるが、やはり行けそうにない

 

挑戦しないという選択

先月の結果を受けて、上司とは「次の機会での参加は慎重に考えよう」という相談はしており、その時が来たら様子を見て(体への反応も考慮)決定する約束ではあった。 今回はホテルのキャンセル等は関係ないが、直前での参加者変更は、事前アジェンダへの参加者記入や、飲み会のセッティングには影響する。 特に相談は受けなかったが、上司から先方への事前連絡は、以下のようになっていた。

  • 打合せの開催案内上、私は「任意参加者(必須ではない)」になっていた
  • アジェンダ上にも参加者としては記載していない(当然、飲み会の対象でもない)

前回のことで、上司自身も責任を感じていたので、その結果の行動なのだとは思う。 また、あれから1ヶ月経過しているが、私自身もたった1ヶ月でそれに耐えられるほど回復しておらず、耐性がついているとは言えない。 よって、今回は最初から参加しないことを選択することにした。

"挑戦しない 決断"である。

 直前の定例ミーティングで、参加しない旨を相談したが、上司も同様に考えていたようではあり、割とすぐに合意出来た。   余談ではあるが、他社の参加者の中には、過去の業務で一緒に活動していたお客様がいて、先月の打合せ時に少し挨拶をした。 その際に体調を崩して前業務から外れたことを少し話した。 厳しい業務だったこともあり、何となく雰囲気は伝わったようだった。 その方は、一緒に活動していた頃、情熱を持ってその業務を推進している私の姿を見てくれていた方なので、調子を崩したことや先月の途中離脱に対して、心配してくれているようだった。 よって、今回不参加であれば、私がこのような状態であることは、確信してしまうであろう。 それがどこまで先方の社内に伝わってしまうのか、といったことを考えると怖い気もしている。

 

挑戦しない=ダメージゼロ?

今回はこのような決断としたが、決してダメージを受けなくても済むという訳ではない。 前回の「途中まででも参加出来た」という結果に比べれば、「参加も出来ない」ということになるので、そんな自分を情けなく感じるという意味でのダメージを受けるだろう。 ただ、これも事前の準備として、

  • 今回の議題に対する自分の必要性が薄いこと(結果は後で確認すれば良い)
  • 打合せ日程の期間中、その間に進めておくべき自分の作業を進めておくこと

これらを、しっかり上司と話し合って合意は出来た。 これによって今回は、そもそも「自分の役割として重要なものではない」という認識を頭に擦り込み、ダメージを減らそうと思う。 実際、当日や事後にならないとダメージを受けるかどうかは分からないのではあるのだが。  

 

他にも色々壁はあるが

打合せというイベントに対しては、上述したような対策として何とか今回は乗り切ろうと思う。 しかし、不安なイベントは今後も続いていく。 打合せ系は、体調(特にめまい)の回復を試みたり、社内での会議で慣れて、徐々に挑戦はしていきたい。 その他の大きな壁として、資格試験が近付いてきている。 当然今はその勉強をする余裕(時間ではなく気持ち的な余裕)もなく、何よりも長時間受験席に座って集中するということ自体に耐えられる自信がない。 その試験は、半強制的なものなので、申請はしているが、おそらく気持ちの中で今年は既に諦めている。受験することさえも。 そんな気持ちでいることが「逃げ」であると感じて「焦っている」ことは確かである。 SNS上の皆や、リアルでの周囲の人の中で、順調に回復しているような人を見て焦ることもある。 ただ、人と比べることに意味はないのではないか、状況も状態も違うものなのだから、とも思う。 なので「他人と比べて自分も早く!」と考えてしまうことは、なるべくやめようと思っている。

 

体調面

何かに挑戦する/しないということを書いてきたが、ここで体の不調という点での現状も整理しておく。

  • 気持ちの面では浮き沈みはあるが、仕事上でのストレスを今は避けていることと、季節的に好きな時期であることから、安定しているように思う。
  • めまい(もはや「めまい」と呼ぶべきかも悩ましいもの)は継続している。会社の日に強く感じるため会社に来ること自体のストレスだとは思っているが、8月には一度検査を受けたい。
  • 頚椎痛は、夏で暑い時期だが、今も首にタオルを巻いて仕事をしている状況。頚椎自体の痛みというよりも、めまいをごまかす意味合いが強いかも知れない。
  • お腹のゆるさは最近は減っているように思う。
  • ジムは4月から毎週通うと決めたが、2回だけ行けなかった日があった。それ以外は行けている。めまいや頚椎への効果はまだ感じていないが、運動不足解消にはなっているだろう。

 

不安はあっても今出来ることしか出来ない

上述したように、挑戦するイベントを回避したところで、この先ずっと避けていくことは出来ない。 そんな不安に加え、まだまだ不安はたくさん存在している。 ・自分のペースで「人と比べない」と決めても、焦りはゼロになる訳でもない。 ・最近は家族にも自分の状態について全く話をしなくなっている。 ・夏は好きだが、すぐに過ぎる、そして昨年発症した時期に近付いていく。 ・自分の体のことは不安なまま。 ・家族(娘)の状態のことも解消していない。 ・… 数えればキリがない。 けれども、今という瞬間は、その時に出来ることしか出来ないものだと思う。 だから、その時に出来る範囲のことをして毎日を過ごしていくしかないのだろう。

 

こんな風に考えてみる 100mを10秒で走れる人がいたとしよう。 しかし足に致命的な怪我をしてしまった。 その人は再び10秒で走ることが出来るのだろうか。 長い目でリハビリすれば回復するかも知れない。 だけど回復しないかも知れない。 長く期間をかける程に、体力的・身体的な衰えが障害になり、同じには戻れないかも知れない。 そう考えると、元通りになれる可能性は低いのかも知れない。 治療の段階によって、何が出来るかも違えば、最終的にどこまで回復するかも違ってくるのは当然の話である。 そう考えれば、この人も、その時「出来ることをする」しかなく、それは決して無価値でもなく尊いことだと思う。 10秒で走れるように戻ることが全てではないだろう。 心の病は上記のような目に見える怪我ではなく、分かり難かったり「甘えや逃げ」と思いがちだが、似たものなのだろう。 到達点など決めなくても良いのかも知れない。 そう考えて日々出来ることをしていこう。