"うつ病 体験"ブログ

うつ病 体験記(進行形)

ストレス社会の中で発症してしまった「うつ病」の体験記、思いやノウハウなどを記します

当事者意識

ここまで会社の業務方針の変化で色々と苦しんで来ました。私のうつの一因でもあるかも知れません。 しかし、この方針転換も意味なく実施されてる訳ではないことは理解しているつもりです。 この改革が始まった頃の運営者の言葉である「"当事者意識"」をふと思い出し、病気との関係で感じたことです。

 

残された言葉

モノ作りで最後には何とかしてくれる会社、ということを売りにしてきましたが、そもそも最後の砦が必要になるようなやり方では競争に勝っていけないという危機から、業務改革の方向性が生まれました。

  • システムの高機能化に伴う規模の増大、大量人員を投入するも残業は減らず、そんな中でモノを作り上げる。人の疲弊やコスト増加。
  • 多くの人が関われば分業の意志疎通が図れなかったり、スキルや知識の問題で不具合が多発し、その対応にも追われる。
  • 次々に新しいものを産み出さなければ生き残れず、そんな状況でも時間は待ってくれない。

このような状況から脱却するために、我社のミッションが変化して方向性転換に繋がりました。 今まで「モノ(製品)作り」を行ってきた我々が、モノ作りではなくその開発の現場(方法・体制・道具…など様々)を改善・改革していく役割に変化したのです。 改善のための方法論や世の中の道具(ツール)は多数存在します。 しかし、それはそのまま使えるものではなく、また、忙しく開発サイクルが回っている現場へいきなり導入出来るものでもありません。 いかに良い物をうまく導入させて効果を出していけるか、それが出来なければ意味がないことになります。 そんな中で、この思いが強かった当時の運営者が良く語っていた言葉が、「当事者意識」です。

  

危機を乗り越えるために必要なこと

世の中の研究機関や学術団体は、それがどう使われることになるのか、使われた時に問題にならないか、などはあまり考えないものだと思っています。 便利な世の中にしたいのか、単なる興味なのか、各人の考えは分かりませんが、後のことはそれを利用して何かを産み出す企業責任になります。 我々に与えられたミッションは、こういった研究機関になるということではありません。

  • 学術的な机上の空論だけ差し出しても現場では使えない
  • 実際に現場で起きていることに目を向けないと問題は解決しない
  • 起きている問題は全製品・全現場で同じとは限らない

こういったことを考慮して、本当に使えるもの・効果を出すもの、にしなければ、無駄でしかなく、会社として生き残ること自体が出来なくなるという危機にあります。 業界外だと認識していた米国の企業の参入、欧州の同種企業の先進、といった現状の中で苦しい時代だとは感じています。 確かに企業としての危機であり、現場(当事者)の立場を考えて臨まなければいけないことです。 この"当事者"は、開発現場に留まらず、企業存続という意味では、我々にも降りかかってくることだと思っています。

 

違う危機が来ているのでは?

ここまでは、「企業として勝ち残る」という意味での危機について記述しました。 しかし、発生している問題はこれだけなのでしょうか。 企業としても、単純に「勝ち残りたい」という訳ではないとは思います。 改善・改革をしなければ、残業による過労や不具合対応のストレスなど、心に関わる負担は大きくなり、そんな状況から脱却したいという思いもあるでしょう。 ただ、それは人ではなく「コスト競争」という意味でしか見ていない可能性もあります。 残業の増加や人員投入は、その分の賃金や設備・管理費といったコスト増加に繋がります。同じ製品に対するコスト競争としての危機として見ているのかも知れません。   自社(関係会社でも?)で起きている問題としても、やはり「心の病にかかる人が増加していること」が存在します。 以前のモノ作りで大変だった頃も確かにストレスはありました。 しかし、

  • 残業代は支払われ、給料は上がる
  • モノ作りをしたくて入社しているので楽しいと思えることはある
  • モノが出来れば達成感もある

そういった良い面も多かった気がします。 それが業務改革や世の中の風潮によって変化し、

  • 難しい業務だが、残業をしないような働き方が推奨される(=給料に影響する)
  • モノ作りは無くならないが、製品ではなく、イメージ出来ない難しい仕組み作りになり、楽しくない
  • 出来たモノがどうなるのか、製品として発売される訳でもなく、達成感や実感が得られない (実際にそれを味わえるかも不明で、味わえたとしても当分先にしか分からない)
  • 現場で使って効果を出す、ということは多くの知識や影響力、説得力などが必要で、難易度が一気に上がる

といったことになります。 誰もが、改革自体は必要なこととして認識はしているでしょう。 しかしきっと、心の中で、変化への戸惑いやモヤモヤしたものを抱いている人が多いはずです。 その結果として、多くの「心の病」を増やしてしまっているのが現状だと思っています。 上司や組織自体が何が正解かも見えずに混乱し、酷な指示が出たり、叱咤されるようなことも起きているのでしょう。 勝ち残りという意味での企業存続の危機も、暮らしていく上では重要なことです。 しかし、それ以前に人が壊れていくことでの企業存続の危機が来ている気がしてなりません。

 

保守派は必ず存在する

再びモノ作りの話に戻りますが、改善・改革は現場にとって、必ずしも全員が欲しているとは限りません。 それまでのやり方で長い経験を積んで、そのスキルを売りにしている人には、それを失うことに繋がってしまいます。 また、そもそも外部からの声には耳も傾けない「現場の何が分かるんだ!」と思う人も多いでしょう。 視点を変えて、収入として「残業時間分の手当ありき」で生活設計をしていて、それが減ったら困るという人もいるでしょう。 それを「保守派」という言い方にするのは少し違うとは思いますが、望んでいない人が存在するのも確かなことです。 企業間の競争と、こういった個人的な事情が複雑に絡み合ってしまうのはやむを得ないことであり、難しい問題だと思います。 言うまでもなく、我社の改革にしてもしかりです。

 

そこに"当事者意識"はあるのか

会社方針を打ち出した上層部は、こういった現状をどう考えているのか、と思うことはあります。 私への対応などを見ていると、全く考えてない訳ではないですし、業務上の配慮もあり、それには感謝しており、問題視しているとは思います。 しかし、それはあくまでも事後処置であり、「そうならないために」の未然防止はどうでしょうか。 心の窓口の開設や、メンタルヘルス教育など、制度としては各種準備はされています。 また、人を育てるという面においても力は入れているように思います。(かかってしまった私には重い物でしかなくなっていますが) ここで考えるのが、心の問題に対して、当事者意識は重要と捉えられているのか、ということです。 国からもメンタルヘルスに関する活動が義務化されてきていますが、実績(何かした)という事実だけを作って終わらせている会社もあるのではないでしょうか。

  • チェックリストによる診断 →専門のサービスサイトなどを使って実施するが、結果もそのサービスからのフィードバックのみ。 個々が抱えていそうなことに、当事者の身になって、何が起きているのかまで探ったり、対応しようとはしない。
  • 満足度調査 →前向きに答えようとしてしまったり、人によってどう回答するかは様々、その結果を分析して結果は展開される。 分析者はあくまでも数値(統計)だけを見て、結果に対して推測で原因を展開するのみ。 その数字の裏にあるもの(当事者の心)を見ていない。
  • 人材育成 →そうならない人に育てるのは、悪いことではない。 しかしそれは、強いものだけが勝ち残ればいいという考えなのか。これまでモノ作りを誇りにしていた人やそれなりの年齢以上の人に通じるのか。 全員(当事者)と向き合ったの結果なのか。

 "当事者意識"は 何においても重要な言葉だと思います。 それは、自分を、相手を、人を想う意識であるからです。 しかしこれが、ある都合の良い部分(あくまでも企業としての競争)でしか重視されないのは悲しいことだと感じます。