"うつ病 体験"ブログ

うつ病 体験記(進行形)

ストレス社会の中で発症してしまった「うつ病」の体験記、思いやノウハウなどを記します

いつまで無理しないまま進むのか 焦り

復職後、ここまで会社の配慮もありつつ、なんとか作業レベルの仕事をこなしてフルタイム出勤出来るようになっている。 プライベートでは、楽しくなかったものが楽しいとしっかり思えるようになったり、新たにジムを始めたりと充実し始めたように思う。 プライベートはこれでいいだろう。 しかし、仕事はこのままでいいのだろうか。色んな場面で急に焦りを感じ始めている。 無理しないことを続けることに関して、いつまでなんだろう、という焦り の気持ちが芽生えている。  

近い先の不安

近々のイベントが近付いていることも焦りの理由ではあると思う。 また、それを考えると、年末くらいまでのイベントも圧し掛かって来る。

  • 1週間後の宿泊出張(集中議論、他者との飲み会)→そろそろ結論を出す必要あり
  • 来月の社内教育の講師→そろそろ運営に相談すべき
  • 無理をしない作業はこの先存在するのか、自分は何をしていくのか
  • 秋にある資格試験は受けられるのか
  • この1年を経て自分の評価はどう変わっていくのか
  • …など

今までは先のことを考えて苦しくなるのを避けるために「考えない」訓練をしてきたが、そんな癖がついてしまってもいいのだろうか。 そんなことも考えてしまう。

 

今はまだ無理したくない

とはいうものの、この病気・症状は「急激に回復するものでもなく、時間をかけて徐々に治す、もしくはうまく付き合っていけるようになる」ことである、ということを理解した今、急に無理なことはしない方が良いという考えも頭の中には存在している。 無理して再び症状が悪化し、また休んでしまうような事態にはしたくない。 ようやく身に着けた「自分を守る」ことはこれからも大事にしたいとは思っている。 また、自身の無さに繋がっている気がしていた「めまい」の症状も治っている訳ではない。 暖かくなった今も、血流をよくすることや、あまり動かさないように意識するために、カイロを入れたタオルを首に捲いて仕事をしている状況である。 これも簡単に治るものではなく、長く付き合っていくしかないのかも知れないと思っている。 ※最近「頚性めまい」の存在を知り主治医に聞いてみようとは思っている。 心身共に不完全なのだから仕方ないという思いもあるのだが、復職後半年経過している今、どうしても「焦り」の気持ちも出てきてしまう。

  

いつなら無理ではなくなるのか

無理せず行こうとしているのに、焦る、何故なのか。 それは、今出来ないと感じることは、いったいいつになれば出来るようになるのかが見えず、ずっとこのままではないのか、と感じてしまうからだろう。 ここまでは、無理なことに対して、その要素を含む何かを少しずつ実施して、徐々に出来るように戻っていくことをイメージしてきた。 実際に、他社の方と関われる自信がなかったのに対し、一度は顔を合わせて説明するような機会も経験はした。 会食や飲み会も行ける気はしなかったが、職場の会食に参加することも出来た。 そういった経験を重ねて、慣れていくと思っていた。 しかし、そんな経験のチャンスである、出張や出張先での飲み会、教育の講師などは、怖くて仕方がない。 少し経験したことは何も自信には思えず、ただただ怖いと感じている。 少しずつと考えているのに、ハードルが急に高くなりすぎるからだと思うが、だからといって「今回は無理」としてもいいのだろうか。 これが「逃げ」なのか「守っている」なのか分からない。 自分の考えるような都合のいい、段階的なイベントなど作るのは難しいことだろう。 そうなると、いつ「逃げなくなる」、「守らなくても良くなる」日が来るのだろうか

  

「やれる」と「やれない」の浮き沈み

色々なことが怖いと思っているのは確かなことだが、ふとした時に「別に大したことじゃない、自分なら出来るような気がする」と思う瞬間がある。

  • 小さな打合せではあっても、それをこなして席に戻る時
  • 休憩所で上司と話している時
  • フロアを歩いて皆が仕事をしている姿(黙々と作業をしている人々)を見た時
  • きっかけは不明だが、突然そう感じる時もある

これは何なのだろうか。 会議をこなせたことへの小さな自信、話せたことへの自信、人の視線は怖いが視線がない人々を見て、怖くないと錯覚する、そんな理由なのかも知れないが、突然そう感じることもあり、自分でも良く分からない。 前向きな感情である時間はごく短いものであり、この小さな感情が継続して、常にそう思えるようになるのか、そうなるためのきっかけなのか、それも分からない。 実際に席に戻って黙々と作業を開始したり、仕事を終えて疲れきった時には、そんな思いは消えてしまっている。

  

この会社でついていけるのだろうか

先日、業務では関わりのない同社のメンバとの昼食会に参加した。 その際、私は何かを問われれば答えることはしたが、自ら多く話をすることはなかった。 そんな中でやはり、会社改革の話は持ち上がり、皆がそれを前向きに捉えていることを知った。 中には私と同様に休職を経験した方もいて「仕事を優先する生活はいけない」という発言も見られた。 しかし、前向きと感じる人は、やはりこの分野に興味があって、プライベートな時間でさえも仕事に活かせそうな趣味を持つ方が多く、 それについての世の中の動向やそれを利用して楽しむような風潮があるようだった。 私はこの業界に興味がなく入社した訳ではない。 しかし、入社当初と現在とでは、全く違う世界になってしまっている。 想像していなかった技術トレンドの方向性や、独自性を持っていると感じていたことに対する他社の大量参入、こんなことは考えていなかった。 1からモノを作ることや職人技であることに価値観を持ち、優位性と思っていたことが大きく覆されている。 存在するものは極力再利用、それによって再利用するモノの方向へ流されるトレンド、作り方や品質に関する標準化・規格化、そんな方向に向かっている。 生産性の向上や品質向上が狙いで、このような状態になっていく。その流れは理解している。 しかし、それによって多種多様な知識・技術が必要になり、結局対応出来ないという本末転倒な結果にも見えている。 私自身が保守的な考え方の人間であるからなのかも知れないし、年齢的な諦めもあるのかも知れない。

  • 膨大な知識を今からどれだけ追いかけ続けられるだろうか
  • それを自分のものに出来るのだろうか
  • 元々の価値観と違うものを好きだと思い続けられるだろうか
  • こうあるべき、と部下を率いて進むことが出来るだろうか

以前から感じていたこの会社への違和感を考えてみると、こういうことなのかも知れない。 ただ、本当にそうなのか。 近々のイベントが怖いからその言い訳をしているだけなのかも知れず、本当の自分の思いが掴めない

  

会社を辞める選択肢

いずれにせよ、会社・仕事への違和感を持っていることは確かなことである。 まだ長いが定年まで、今のような感じ(多少の向上はあるとして)でやり過ごすのも一つの策ではある。 転職という策もあるが、自信を無くしてしまっている現状や年齢的に考えると、正直厳しいとも思う。 心療内科でも、長く務めた会社だから転職は惜しいという意見ももらっている。 夢のような話だが、個人で出来るような仕事を見つけ、娘と共にやっていけるようなことを探したい思いもゼロではない。 しかし生半可な思いだけでフリーランスは始められるようなものではない。 現状の片手間で勉強して、徐々に始めたい思いもあったが、フルタイム稼働に戻り、残業はなくとも疲れは大きい状況の中では時間を割くことが出来ていない。 体が元気であることも軽視出来ないため、ジムの時間は削りたくはない。  

 

結局どうしたいのか

会社へは復帰したものの、このまま続けられるのか疑問を持ちながらも、収入を減らすことは出来ず、ついていこうとしている。 結果として、会社に残るために元通りになること、ついていくことにも不安と焦りを感じている。 一方で、ここに居場所はなくなるかも知れないという不安もあり、何か行動を起こさなければ、という思いもある。 自分はいったいどうしたいのだろうか。 あまり考えないようにしてきたが、今ほんの少し向き合ってみると、重い問題に突き当たってしまう。