"うつ病 体験"ブログ

うつ病 体験記(進行形)

ストレス社会の中で発症してしまった「うつ病」の体験記、思いやノウハウなどを記します

"うつ病 発症" はじめて会社へ行けなくなる

自身が今現在苦しんだ状況(うつ病)を日記として記録しようと思う。 これは進行形の出来事のため、アドバイスなどは今は書けない。実録として…。 まずは"うつ病 発症"について記載する。(2017年11月の出来事)

"うつ病 発症" の引き金

初めて自身の苦痛・ストレスを強く感じて心が溢れてしまい会社を休んだ。

翌週の月曜に顧客への報告が必須である報告書を作成しなければならなかった。 その日は既に金曜、夜になり残業リミットの時間まで頑張ったのだが、終えることが出来なかった。 土日があるのだが、休日出勤するだけの残業も残っていないことと、機密上データの社外持出しが禁止されている以上、自宅への持ち帰りも不可能だった。 既に周囲の人も帰宅済みで殆ど人がいないオフィスの中で、「これはダメだ」と、全てが溢れた。 明らかに心が崩れていくのが分かった。

この出来事が単体で突然発生した訳ではなく、最近はこれに近いことが増えていた。 それがこの夜、深夜のオフィスという環境のせいもあったのか、一気に溢れたのだ。 データの持ち帰りも頭をよぎったが、出来なかった。 そんな中での土日、休日ではあったが、月曜をどう迎えたらいいのか全く見えず、そればかりが頭の中を支配して心身共に全く休まらなかった。 結局、月曜は怖くて出社することが出来なかった。

日曜日の決意

最近は、頑張っても報われない、こなしきれない、そんなことの繰り返しでどんどん自信がなくなっていく自分がいるのは気付いている。 めまいも頻繁に起きるため、ここ1年程は以前かかった心療内科へ定期的に通院するようにはなっていた。

とは言っても、苦しい日に服用するクスリを処方してもらうための通院だった。 今回の心の溢れは、それまでとは違い全く落ち着かず不安しかなく苦しくて仕方ない状態だったため、クスリ目的ではなく、助けて欲しくてその病院を訪れた。

しかし、話を聞いて抗うつ剤を処方することくらいしか医者には出来ず、何も解決はしなかった。 もちろん話すことで理解してもらう意味では良かったのだが、月曜の問題が解消する訳ではない、という意味である。 その医師は今まで明確に病名を伝えて来なかったが、この時初めて"うつ病 発症"状態であると医師は伝えてくれた。

普段は妻とあまり仕事の話はしないようにしている。 これは興味のなさや不仲ということではなく、単純に余計な心配をかけさせたくないからである。 また、3人家族でいつも一緒の空間にいることが多いため、子供(娘)がいる前では話し難いという理由もある。 しかし、その夜は全てを妻に話すことにした。 今の会社でやっていく自信がないことや、職を失ったらどれくらい生活がもつのか、家族でストレスなく働けるような独立が出来ないか、など。 妻は、「あなたの体が一番大事だから、今のままでつぶれてしまうなら会社は辞めたってついていくし、きっと何とかなるよ」と言ってくれた。 それを聞き、涙が止まらなくなった。 それと同時に、張りつめていた自分で抱えて何とかしなければならない、という考えが崩れてしまったようにも思う。

出社できず うつ病 生活へ

月曜になり出社時間になった時、妻は「休むよね?会社に連絡しておくね」と言ってくれた。 事情は夕べ話してあり、間に合わせなきゃいけないことがあることを知っているにも関わらず、そう言ってくれた。 「そういうところで真面目すぎて責任を感じてしまって壊れるのがあなただから、辛い日は休みなさい」と逆に怒られてしまった。 会社・仕事への罪悪感を強く感じたが、僕はその言葉に甘えた。 しかし、休んでも気持ち悪さや不安は消えることはなく、寝ることで何も考えない時間を増やしたに過ぎなかった。 更に翌日(火曜)の朝も、当然のように妻は同じ行動を取ってくれた。 何日も連続して休むことで、罪悪感や戻れない不安は積み重なるのは分かったが、動くことが出来ず休みが続いた。 こうして私の"うつ病"生活は始まった。